FROZEN考察ブログ

映画FROZEN(アナと雪の女王)の考察ブログ

Official Trailerの考察

 

FROZENⅡ Official Teaser Trailer

youtu.be

 

暗く荒れた海と石ころだらけの海岸

 

この場所はアイスランドがモデルになっているのではないかと言われています。

しかし私が注目しているのは、石ころだらけの海岸をエルサが裸足で走っていることです。

このことからエルサは内臓が健康な「内臓強い系女王」だということがわかります。

 

………冗談はさておき。笑

おそらくこの海はエルサがNOKKに力を試される場所の一つではないかと思いますが、なぜアイスランドなのでしょうか。

 

アイスランドはノース人の進行地です。

アレンデールのモデルはノルウェーとされていますから、エルサとアナはノース人であると思われます。

一方クリストフはトナカイを連れている点や服装などからサーミ人と考えられ、一作目では瀕死のアナを城に送り届けたにもかかわらず門を目の前で閉められてしまうなど、各所で描かれる・歌われる冷遇はそのためと思われます。

また一作目の冒頭に登場するアイスハーベスターたちも装いからサーミ人と考えられますが、氷の切り出しにばん馬を使用していることや、孤児のクリストフを助けるそぶりがない(おそらくトナカイのスヴェンを連れているため)など、定住生活を送っている湖サーミと呼ばれる人々ではないかと思います。

定住することと運搬業を担うこと(ラップ税という税金を納めること)でアレンデール(ノルウェー)の人間として認められていますが、ノース人とは軋轢があり、また彼ら固有のシャーマニックな文化はノース人から制圧の対象にされているため、アレンデールの戴冠式(ノース人の祝い事)には参加していないのでしょう。

またFROZEN2でアナが提げているバッグはノース人の民族衣装に似ており、FROZENが「二つの民族」を扱った作品であることがわかります。

(ただしノース人とサーミ人に人種的な違いは殆どありません)

 

そして日本語版の公式ポスターには

 

「なぜ、エルサに力は与えられたのか-」

 

と書かれており、エルサの力はなんらかの意図に

より「与えられたもの」だということが判明しました。

精霊NOKKもエルサの力を試し、エルサが「相応しい存在」であるかを見極めようとするようですので、エルサはなにか理由があって「選ばれている」のだということがわかります。

 

私はエルサが力を与えられたのは、エルサが「ハイブリッド」であるからではないかと思っています。

エルサの父親であるアグナル王の先祖、つまりアレンデール王家の人間は、過去に天から落ちてきた「月の石」(※便宜上今回はそう表記します)に当たり、トロールの施術を受けたのではないかと考えられています。(参考 https://ikyosuke.hatenablog.com/entry/2019/02/21/194956

またブロードウェイ版FROZENでは、イデュナ王妃がNorthern Nomadsという北方の遊牧民(おそらくサーミ)の出身であり、トロールと関わりを持った人物であることが明かされています。

このブロードウェイ版の設定は、Frozen Fever(エルサのサプライズ)において、エルサがクリストフの顔についたペンキを拭う動作がFixer Upper(愛さえあれば)でトロールがクリストフにする動作と同じであり、それをクリストフが不思議がっている描写や、Olaf's Frozen Adventure(家族の思い出)の屋根裏のシーンでアナがサーミの民族衣装を見つけるくだりなどで映画との関連性が示唆されています。

またブロードウェイ版でイデュナ王妃が遊牧民出身であることを告げると、トロール(ブロードウェイ版ではHidden Folks)に「それが今ではロイヤルね」とからかわれるシーンがあることから、遊牧民たちの社会的地位は低いことが伺えます。

つまりアグナルとイデュナは、民族と身分の違いを超えて夫婦となったようです。

 

そして月の石の直撃を受けた末裔と思われるアグナルにとどまらず、イデュナにも特殊な能力は備わっていると考えられます。

ブロードウェイ版でイデュナはHidden Folksと同種のペンダントを身につけており、ヨイク(サーミの歌唱法)を唱えて彼らを呼び出します。

ヨイクは「ノアイデ」と呼ばれるサーミのシャーマンが精霊界とコンタクトを取る際に用いられるものです。

全てのサーミ人がこのような能力を持っているわけではなく、ノアイデはサーミ文化において重要な役割を果たしています。

このことからイデュナは「ノアイデ」であると考えられ、エルサは月の石の直撃を受けた王家とノアイデの「ハイブリッド」ということになります。

 

ここまでくるといわゆる都市伝説的な流れになり抵抗を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はエルサが宇宙()と地球人のハイブリッドである、というのはあながちありえない話ではないのではないかと考えています。

カッパドキアの洞窟教会のフレスコ壁画に描かれているイエスの誕生のように、天からきた「高次元のなにか」と「人類の第六感」が同居しているエルサの存在は、「力」を与えられるのに相応しい「器」だったのではないでしょうか。

 

エルサが「生きるはずだった人生」とは

 

また、エルサは旅の中で「自らが本来生きるはずだった人生」を知ることになるようですが、

それはつまり

現在のエルサは本来生きるはずだった人生から逸れてしまっている

ということになります。

そしてエルサがそれを知ることは「自分自身を含めた全てを失う危険を冒す」ことになるようです。

エルサが本来歩むはずだった人生というのは、一体どんなものでしょうか。

 

私は、ヒントは一作目にあるのではないかと考えています。

トロールの長パビーが、まだ子供だったエルサと両親に見せたあのビジョンです。

そこではエルサの魔法について以下の説明がなされていました。

 

◆魔法の力はどんどん強くなる

◆美しいが危険をはらんだ力である

◆「恐れ」が敵となる

 

またパビーが空中に描いて見せたビジョンでは、成長したエルサらしき人物が魔法を操り、それを取り囲んだ群衆が歓喜していました。しかし魔法が不穏な色に変わると人々は恐怖し、その色が人々へ飛び火すると彼らはエルサらしき人物に襲いかかりました。

 

このシナリオが一作目で現実になったかというと、違和感が残ります。

パビーのビジョンでは「恐れ」は群衆に現れており、エルサらしき人物には認められません。

たしかにハンス率いる有志軍がエルサを捕らえる場面はありますが、「美女と野獣」の村人たちのように「エルサは危険だ!エルサを倒せ!」と民衆が奮い立つことはありませんでしたし、なにより「恐れ」と闘っていたのはエルサ自身でした。

では、このビジョンは一体なにを示しているのでしょうか。

 

映画とブロードウェイ版との関連性について先ほど述べましたが、ブロードウェイ版でエルサが歌う「Monster」という曲の歌詞では、エルサが「力」についてどのように感じているかが掘り下げられています。

(Monsterの歌詞を詳しく知りたい方はこちらの記事を参照してください https://ikyosuke.hatenablog.com/entry/2018/11/16/094928

 

Monsterの歌詞からわかる「力」の特徴

 

◆エルサの意思ではコントロールできない独立性がある

◆力は増幅していき、抑えるのにも限界がある

 

この事態に対しエルサは自死という選択も考えますが、思いとどまっています。

それは、生きていたいという思いからではなく、自分が死んで「力」だけが残り、取り返しのつかない事態になることを危惧しているからです。

そうならないためにエルサはまだ死ねないと決意しています。

 

エルサの体感として「力」は自身が死ぬと「器」から出てしまう可能性があり、その後も消えることなく禍を招く危険性があるのです。

 

更にこのことに関しては先日公開された公式トレーラーでも明らかになりました。

 

FROZENⅡ Official Trailer

youtu.be

 

Elsa.The past is not what it seems.

エルサ、過去は思っているものとは違うようだ。

You must find the truth.

きみは真実を見つけなくてはいけない。

Go north,across the enchanted lands,and into the unknown.

北へ向かうのだ。魔法にかけられた土地を越え、未知の場所へと至れ。

But,be careful.

しかし気をつけろ。

We have always feared Elsa’s powers were too much for this world・・・

我々はエルサの力がこの世界には大き過ぎるのではないかと恐れてきたが・・・

Now,we must hope,

今は祈るしかない。

They are enough.

それらが十分であることを。

 

 

上記はパビーのセリフです。

今やエルサの力は世界のキャパシティを超えてしまうほど強大になっているようです。

 

私の考えですが、おそらくこれらの事態は本来もっと早く現実になるはずだったのではないでしょうか。

時と共に「力」は大きくなり、やがてエルサにも制御できなくなる。

恐怖した人々、あるい「力」そのものに、エルサは殺される。

しかし思いがけずアナが「真実の愛」をもってエルサを救い、エルサはコントロールを学び、今もまだ「生きて」います。

これは、本来のシナリオではないのかもしれません。

エルサは本来「何者」になるはずだったのでしょうか。

「生きるはずだった人生」と「思っていたものとは違う過去」とはいったいどんなものでしょう。

 

 

 トロールの正体とは

 

ここで、トロールについて私が立てた仮説を紹介します。

トロールはブロードウェイ版で「Hidden Folks」と呼び名が変更されており、より人に近い姿をしています。

これは演出上の都合もあるでしょうが、私はこの変更には意味があると思っています。

Hidden Folks」は直訳すると「隠れた人々/隠された民」というような意味ですが、私は、トロールとは石という「器」に過去に存在したある人々の「意識」が移された存在なのではないかと考えています。

私たち人類の歴史において、過去に幾度となく高度な文明が発生しては消えていきました。

今では解明・再現することができないような測量や建築などの、いわゆる「失われた技術」の痕跡は世界各地に見られます。

高度に発展した文明が、ある時点を境に跡形もなく歴史から消えてしまう不自然さを、私はずっと疑問に思ってきました。

疫病や戦争で滅んだ、という通説は、もちろん一部では事実であると思います。

しかし文明の一切が語り継がれることも引き継がれることもなくリセットされてしまうということが、はたして疫病や戦争だけで起こりえるのでしょうか。

もしかすると人類は、ある一定の水準に達した時点で別の場所に移動するということを繰り返しているのかもしれません。

肉体を捨て、意識体として、次の次元へと旅立っていく・・・それが突然人々や文明が消えたように見えたため「隠された民」と呼ばれるようになったのかもしれません。

 

また人類の発展は、本当に地球上の叡智だけでなり得たのでしょうか。

各地で信仰される様々な宗教と神話には、共通する事象を描いたと思われるものが多くあります。

エルサに与えられた「この世界には大き過ぎるほどの力」とは、どこからきたのでしょうか。

FROZEN2では、そのような「真実としての神話」、そしてこれから我々が直面する「これからの神話」が示されるのではないかと思っています。

 

 

謎の巨人について

 

また映像の最後では、一作目でエルサが作り出したマシュマロウにシルエットの似た巨大な物体が森を歩いています。

北欧神話やスカンディナビアの伝承には、巨人や石の精霊などが多く登場します。

また映像にたびたび登場する四つのクリスタルのようなものにはルーン文字に似た文様が刻まれており、そのひとつから「ジャイアント(巨人)」の登場を予想している方もいました。(参考

http://youtu.be/ryVdLROEkms )

 

私はこの巨人のヴィジュアルからゴーレム」を思い起こしました。

一般的にゴーレムは土人形のように思われていますが、石や青銅のものも存在します。

そしてこれは、トロールについて立てた仮説と整合性がとれるのではないかと感じました。

 

みなさんは、世界で最初の「ゴーレム」がなにかご存じでしょうか。

それは「アダム」です。

旧約聖書の創世記に記されている天地創造において、ヤハウェは土(ヘブライ語でアダマー)にルーアハ(聖霊)を吹き込みました。

創造主(ヤハウェ)によって創られた最初の人間の「アダム」は、自我を持った最初のゴーレムです。

 

この「器」に「魂」を吹き込む力が「神」であるなら、エルサはまさに「神」であるといえるのではないでしょうか。

 

トロール以外にも、映画とブロードウェイで変更されている部分があります。

それはオラフです。

オラフは登場時、あの見慣れた雪だるまの姿ではなく、姉妹の持っているおもちゃの組み合わせでつくられていました。

そこにエルサが魔法で「アナの一部とエルサの一部を移す」ことによって「命」が吹き込まれます。

エルサの力とは、雪や氷を作り出すことではなく「命」を吹き込むことであるとはっきりと示されているのです。

 

「器」と「魂」は切り離せるものである、という考えは、先述したサーミの宇宙観の特徴でもあります。

サーミの宇宙観では、世界は「現実世界」と、サイヴォ(Saivo)と呼ばれる「天界」、地下にある「死者の世界」の三つで構成されており、人間は「二つの魂」を持っているとされます。

一つ目は「生の魂」と呼ばれ、これが肉体から離れると「死」に至ります。

二つ目は「自由な魂」と呼ばれ、これは肉体から離れ、三つの世界の間を行き来することができます。

サーミのシャーマンであるノアイデは、この「自由な魂」の媒介者としての役割を担っており、ときに天上界と交信したり、死者の世界へ迷い込んでしまった「自由な魂」を探しにいったりします。

イデュナがノアイデであり、更にエルサがその能力を引き継いでいるとするなら、エルサが「魂」を切り離したり、移し替えたりできることがあったとしても不思議ではありません。

またエルサの「生の魂」が肉体から離れても「自由な魂」は「天界(Saivo)」に存在し続けるでしょう。

エルサにとって肉体の消滅、あるいは凍結は、必ずしも「死」ではないのかもしれません。

 

FROZEN2でエルサはどのような運命を受け入れ、選択するのでしょうか。

また我々人類の「命」とはどこからきて、どこへ向かうのでしょう。

 

公開までに、いろいろな覚悟が必要かもしれません。

 

余談ですが、北欧には雪の巨人が日の光に照らされて石になるとう話があるそうです。残念ながら私はこの話を知らないため詳しくはわかりません。どなたかご存じでしたら教えて頂けると嬉しいです。

北欧神話サーミの神話(ラップ神話)は別系統なのでなんともいえないのですが、サーミ創造神話では、太陽の息子が巨人の娘と恋に落ちて彼女を連れ去ったとき、それを追ってきた巨人の兄弟が日の光を浴びたことにより石化してしまうという話があります。

「光」によって「石化」するという話は、旧約聖書の創世記では「ソドムとゴモラ」のロトの妻にも見られます。ソドムとゴモラについては科学的な調査も行われていますので興味のある方は調べてみて下さい。

しかしこの場合、光は災いに近く、石化も良いイメージではありません。

個人的には、北欧の地理的に巨石が多いため、冬場に雪や氷で覆われていた石が夏の日差しで解かされ露出する様子が雪が日に当たり石に変わるように見えたのだろうと考えています。

またFROZENにおいて、一作目から「太陽の光」は重要なキーワードでした。

「太陽の光」はおそらくアナのメタファーであるため、仮に日の光に当たり雪が石になるのであるとすれば、それは悪いことではないような気がします。

 

雪(エルサ)を解かして消してしまう太陽の光(アナ)ですが、それにより雪を石という「永遠に近いもの」に変えるのだとすれば、この姉妹のお話は本当に壮大ですね。