FROZEN考察ブログ

映画FROZEN(アナと雪の女王)の考察ブログ

FROZEN2予想 アナの黒い服の意味とは

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【注意】この記事はFROZEN2のネタバレ、予想を含みます。

また、予想は個人的なものですのでご理解下さい。

 

 

FROZEN2の公開まで、いよいよ1ヶ月を切りました。

現時点までにリリースまたはリークされている情報により、ストーリーの展開はほぼ全て予想することが可能です。

私も仲良くさせて頂いているwestergaardさんのブログにわかりやすくまとめてありますので、事前に物語の展開を知りたい方は是非お読みになって下さい。

ikyosuke.hatenablog.com

westergaardさんがこの記事に書かれている場面の展開順序と曲の挿入位置について、私も同じに考えています。

しかし現時点までにリリースまたはリークされている情報では、見事なまでに物語の核心部分が避けられているようです。

具体的には

アレンデリアンとノースルドラの戦いの真相

アトハランでエルサが迎える出来事の詳細

については明かされていません。

エンドとしては、アナは戴冠して女王になり、エルサは第五元素「ブリッジ」の使命を全うすることがほぼ確実です。

 

以下は以前私がfusetterに書いたものです。

アース・ジャイアントが人間と敵対する、或いはダムを壊すというのはこちら側(視聴者側)の偏見で、ダムは壊されるのではなく、壊れようとしている。
ダム崩壊の要因は経年劣化の他、アレンデリアンとノースルドラの「信頼」の象徴であるため、それが崩れかけているという意味も持つ。
ジャイアントは崩壊するダムを体をはって堰き止めようとしている。
理由。エレメンツは元から人間と敵対はしておらず、アレンデールに危機が訪れた際もアレンデリアンを避難させ助けようとしている。
マティアスは精霊の生態を知っているため、ジャイアントが怒ってダムを壊したいのであればエルサたちが訪れる前に壊されているはずである。
エレメンツたちは何かに呼ばれ、怯え、助けて欲しいと思っており、エルサも彼らの気持ちがわかる。
Frozen2は
「自然」「精霊(エレメンツ)」「人間」
の3者の話であり、精霊は自然そのものではおそらくない。
エルサがエレメンツをアレンデールに取り戻すと言っているように、エレメンツは自然の営みにも人間の営みにも不可欠な構成物質で、自然界だけのものでも人間界だけのものでもなく、また既にそのどちらにも存在している。

この世界の全てのものは不可分な存在であり、そのことを忘れかけていることが「橋」の不安定さに現れている。

橋やダムは一見「自然」を壊すもののように見える。
しかし私たち人間もまた世界の一部であり、その営みは自然にとって絶対的な悪ではないはずである。
ウサギが土を掘り、キツツキが木に穴をあけ、シカが新芽を食むことは自然の破壊ではなく摂理の一部であり、私たち人間の営みもまたそのように世界の摂理の一部であるはずである。
ダムの崩壊は自然にとっても被害の出る話であり、森を削り、動物たちの暮らしを脅かす。
もちろん長いスパンで見ればいつかは自然治癒しうるかもしれない。
しかし人が手を貸すこともまたできるはずである。
人の手が入ることは必ずしも破壊行為ではなく、また野放図が多様性の姿でもない。
自然は精霊に働きかけ、森の人間を一掃しようとしているのかもしれないが、それは必ずしも精霊たちが望む力の使い方ではないかもしれない。

自然も精霊も人間も、自分たちが不可分な存在であることを忘れ、本来存在しない「敵」をあるように思い込んでいる。
その現れである古い橋(ダム)は崩れ去り、新たな「不可分のブリッジ」が必要となる。
それがエルサだと私は思う。

アナにとって最も難しい決断は、国民を失うことよりもエルサを失うことだと思う。
だから、アナが「次にする正しいこと」は、ダムを壊すことではなく作ること、つまり、エルサを手放すことではないだろうか。

エルサは文字通り新たな「橋」になる。
隔たりでなく交わりとしてのブリッジだ。
エルサがブリッジになることで、自然、精霊、人間の摂理が戻る。
なぜから初めからそうであったからだ。

初めからそうであったことに気づく時、世界は「過去に戻ってやり直す」と同意になるのだと思う。

これを書いた時点では、アナが「The Next Right Thing」を歌う際、涙を浮かべ苦悶の表情をしていることから、次にするべき正しいこと(アトハランにいるエルサから提示されること)が、結果としてエルサを失うことになるために辛いのだと思っていました。

もちろんそれもあるとは思いますが、今はアナのこの時点での「服装」と、直前まで同行していた「オラフの不在」に注目し、個人的にですが仮説を立てています。

 

その仮説を紹介する前に、FROZEN2が「自然」「精霊」「人間」の3者間の話であると私が感じているショットを載せたいと思います。

 

「アクター」としての「自然」

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未だかつてディズニー映画でここまでメインキャラクターの引きの画が多いことがあったでしょうか。

これらの場面は人間がとても小さな存在であり、また我々が自然界の中で生きているのだということを改めて感じさせてくれる美しいショットです。

事実、私たちは自然から様々な恵みを享受し、文明を築いてきました。

同時に多くの自然災害とも直面し、FROZEN2でも水害の様子が描かれると予想されます。

洪水により川が山々を削って運び豊かな土壌が生まれるからこそ、我々人類の文明は大河の周辺に発生しました。

自然からの恵みを享受するということは「リスク」を背負うということでもあります。

FROZEN2では、自然は今までのような単なる「背景」としてではなく、現実に対して確かな影響力を持った「アクター」として登場します。

それを表すのが、今回多く見られる「自然をアクターとして切り取った雄大なショット」であると私は思っています。

 

余談ですが、このドローン撮影のようなショットは、一体誰の目線でしょうか。

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ノックに乗って駆けているエルサとも考えられなくもありませんが、馬上の映像にしては上下運動がありませんから、アレンデールに迫り来る洪水の先頭からの映像かもしれません。

このような視線の取り入れも、自然が重要なアクターの1人であることを示すものなのかもしれません。

 

アナ「黒い服装」の意味

エルサが作った氷のボートで送り出され、洞窟にたどり着いたアナとオラフ。

そこでエルサからの知らせが届きます。

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※画像はこの記事の冒頭で紹介したwestergaardさんの記事より

 

この洞窟シーンの後半が「The Next Right Thing」と思われますが、この時点ではアナのマゼンタ色のマントはなく、またオラフの姿が見えません。

 

アナが黒い服を着るのは、ずばり「喪服」を意味していると私は考えています。

一作目でアナが全身黒い服を身にまとうのは、両親の葬儀の時です。

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ではThe Next Right Thing」のアナは、誰に対して喪に服しているのか・・・

おそらくそれはオラフでしょう。

このシーンの前に「何も変わらないと言ったのに全てが変わってしまうのだろうか」と心細くなったオラフに対し、アナは自分はオラフのそばを離れないと慰め、約束の指切りをしています。

アナが泣いているのは、その約束が果たせなかったからでしょう。

私は、オラフの亡骸にアナがマントをかけたためにThe Next Right Thing」では黒い服のみになっているのだと考えています。

一緒にいると約束した、アナのせめてもの想いかもしれません。

 

ただ、安心してもらいたいのは、エルサが帰還したあとにオラフも帰還しますので、このシーンが最後ではないことです。(言い切ってしまいましたが、違ったらすみません。笑)

 

オラフの成長

痛み、不安、自立、実体化、王への布石・・・

ある意味で、オラフはFROZENという作品の中で、最も成長したキャラクターかもしれません。

一作目では、氷柱に体を貫かれても「刺さっちゃった」と楽観的に笑っていたオラフですが、短編作品の「家族の思い出」では、オオカミに追われて顔に「青あざ」をつくり、物事が上手くいかないことに落ち込み、悲観に暮れています。

彼は肉体的にも精神的にも「痛み」を感じ、経験による想像力の成長で「不安」を抱くようになっているのです。

FROZEN2ではエルサに永遠に解けない体にしてもらっているため雪雲は不要となり、アナが読み書きを教えたため本が読めます。(お気に入りは「哲学」の本だそうです)

彼は自立し、思考する存在へと成長しています。

まるで子供の成長そのものです。

オラフがアナからマントをかけてもらうというのは私の全くの妄想ですが、もしそうなれば彼が将来的に王になるメタファーと取れなくはありません。

私はオラフはエルサとアナの子供のように考えていますし、事実エルサとアナには「親」としての自覚が芽生え「子育て」をしているようにも感じられます。

個人的に、オラフが歌う「When I Am Older」は名曲の予感がしています。

自分が大人になったら、全てが「普通」のこととして受け入れられるのだろう。

今はその自らの全盛期を待とう。

という歌詞です。

オラフは「生きた雪だるま」で人間ではありませんし、姉妹との「血の繋がり」もないかもしれません。

しかし、だからといって王位を継げない理由になるのでしょうか。

もちろんオラフが王になるまで作品を続ける気はないでしょう。

むしろ私はもうFROZENは2作で完結させ、先に進めることはないと思っています。

ある程度、具体的で未来志向のロールモデルとして作品そのものを高く掲げるつもりなのではないかと感じているからです。

今、私たちが抱えている様々な「違い」を、振り返れば「それらが存在しているのが普通だったのだ」と気づく日がやってくるかもしれない。

そういう点においても、オラフの「When I Am Older」はとても示唆に富んだ歌になるでしょう。

 

クリストフの葛藤

クリストフは劇中何度もアナにプロポーズしようと試みます。

これはギャグシーンでもありますが、彼が結婚という「形式」にとらわれている描写でもあると私は思います。

一作目で「魅力的な異性」「ロマンス」「結婚」というディズニー的な「フェアリーテールのセオリー」に憧れていたのは、むしろアナでした。

しかし今作では「結婚」に固執しているのはクリストフです。

クリストフには「男性はこうあるべき」という思い込みがあり、そのペルソナを長い間かぶり続けていたために、本来の自分はそうではないにもかかわらずペルソナと自身の区別がつかなくなり始めている、という設定が一作目の時点から存在しました。

その一面が垣間見えるのが、一作目でアナとオオカミに追われるシーンです。

アナがスヴェンの手綱を取ろうとすると、彼は「スヴェンに命令するな。俺がする」とそれを制止します。

主導権を握りたがるのは、彼が傲慢な性格であるというわけではなく(周知の通り彼はとても優しい)「強くあらねばならない」というプレッシャーによるものです。

「愛さえあれば」でトロールたちが歌うように、実際の彼は強がっていて、いわゆる「男らしさ」の実践に無意識に苦しんでいます。

同じように、彼は「結婚」という「形式」によりアナとの愛を確信しようとしているのかもしれません。

結婚は単なる社会制度であり、愛を測るものではありませんし、パートナーシップには多様な形が存在します。

私は、クリストフが何度もプロポーズに失敗する場面を作品に入れるのは、クリストフと観客に、彼が述べる結婚観、つまり「社会的に形成された幸せのカタチが推奨される世の中」への違和感を認知させるためではないかと考えています。

クリストフが用意しているプロポーズの言葉の具体的な内容はわかりませんが、彼はアナとの間にたくさん子供がほしいと願っているようです。

美女と野獣のガストンを思わせるこのマチズモは、おそらく意図的に入れられているのでしょう。

 

このことにアナに指摘されて気づくとなると、クリストフの葛藤は描かれないことになってしまいますので、おそらくクリストフ自身がそれに気づくようにするのではないかと私は思っています。

「Lost in the Woods」でその葛藤が描かれ、クリストフは自分の力で自らの殻を破るのではないでしょうか。

おそらくこの曲の後に、クリストフとアナがスヴェンに乗って森を走り抜けるシーンがありますが、途中からスヴェンの手綱を握っているのはアナです。

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これはなんとなくの予想ですが、クリストフは「Lost in the Woods」を経て、アナへのプロポーズをこの時にするのかもしれません。

その言葉は散々未遂に終わっていた今までのものとは違い、彼が本当に望んでいる「幸せ」についてでしょう。

そして自分の意思で、アナにスヴェンの手綱を委ねます。

実写版「アラジン」のカーペット・ライドのようなシーンです。

 

アナとクリストフの間には確かな愛と絆がありますが、二人が「結婚」という形を取るかは懐疑的です。

もしそうしてしまうと「ヘテロセクシャル」「結婚」という「フェアリーテイルのセオリー」に逆戻りしてしまいます。

そのような後退的なことはしないのではないかと、私はリー監督を信じています。

 

来月の今頃には答えが出ていますね。

FROZEN2がこれまでのファン、世界、そしてなにより子供たちの目にどのように映るのか、楽しみに待ちましょう。

2019/11/19追記 

・・・と、オラフとマントについて以前に書きましたが、オラフの「亡骸」は残らない可能性が強いようです。

その理由については後述します。

 

いよいよ3日後に公開が迫り、前日には先行上映がありますので(私は行きませんが)

私の映画予想は今回の追記にて終わろうと思います。

当たっている部分もあるかもしれませんし、当たっていない多々あるでしょう。

あくまでも映画のひとつの楽しみ方として、また皆さんの考察の一助として、このブログが少しでも力になれたら嬉しいです。

 

個人的にFROZEN2では、いくつかのアイコンが登場すると思っています。

具体的には先ほど紹介した「マント」の他、「旗」や「橋」などです。

これらは序盤から登場し、終盤で回収されるのではないかと考えています。

 

「旗」について

エルサは「Something Things Never Change」の歌詞の中で「アレンデールの旗ははためかせ続ける」と誓っていますが、(続けてアナ、移民を含めた国民のコーラスでも「我らの旗ははためき続ける」と歌われます)物語の序盤でその「国旗」が支柱から風で飛ばされるシーンが映されます。

そのすぐ後に街にやってくるパビーが見せる橋のビジョンもこの旗の二色で表されており、この二色が二つの民族を表していることがわかります。

王国の旗を掲げ続けると誓い、その旗が風で飛ばされて失われ、直後に旗が象徴する二つの民族が示されるつくりになっており、テンポ良く今後のストーリー展開が観客にわかるようになっています。

アレンデールの旗は再び掲げられるでしょうが、その時には新たな国旗になっているのではないかと個人的に期待しています。

紋章のクロッカスはアレンデールでは「生まれ変わり」を意味するのだそうです。

もしかすると、これから生まれ変わるアレンデールの象徴として、花を開く前の、今まさに土から顔を出したクロッカスの葉が紋章になるかもしれませんね。

 

「橋」について

エルサが第五エレメントのブリッジであるという意味でも「橋」は大事なアイコンですが、もう一つ、アレンデールに迫り来る洪水を効果的に表現するために、渓谷に架かる「橋」が描かれると思われます。
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洪水の速さや自然の圧倒的なパワー、人の営みや平和、そして真実がある日突然一転することを描写するために、いかにも「後ほど壊されます」というような橋を一行が渡ります。笑

 

「氷の城」と「雪の生き物たち」
道中意図的に見せるものは、橋以外にもあると思われます。

それは一作目でエルサがノースマウンテンに建てた「氷の城」です。

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マシュマロウとスノーギースたちが中で暮らしていることにも言及があるかもしれません。

というのも、カラースクリプトの洞窟のシーンに「snow melt」とあるからです。

オラフが解けるだけなら「Olaf melt」と書きそうですが、わざわざ「snow」と書かれているため、エルサが命を吹き込んだ全ての雪の生き物たちが一旦解けるのだと思われます。

これは間接的に、そして直感的に、アナにエルサの「死」を感じさせるでしょう。

オラフを失い、エルサの気配も消えてしまうのですから、アナが歌う「The Next Right Thing」の絶望感は凄いですね。

また、マシュマロウやギースたちが解けてしまう映像があれば、観客にも「命が消えてなくなる感覚」や「エルサの喪失」を感じさせる効果があるでしょう。

この時点ではアレンデールの人々にはエルサに起きたことがわからないと思いますので、アレンデール城の氷の装飾も解けた方が流れとしていいとは思うのですが、エルサがノックに乗ってアレンフィヨルドに現れる時はまだ城の装飾がありますし、「ice melt」になっていないので、氷 (エルサが魔法でつくりだしたものの中で命が宿っていないもの)が消えるかはわかりません。

 

ということで、オラフは「解ける」と思われますので、以前予想した「アナのマントがなくっている→オラフの亡骸が残り、弔いとしてかける」はなさそうです。

また公開された映像の中では、洞窟のシーンのオラフが元気な時点で既にアナがマントを着ていませんので、急流下り~洞窟の途中でマントはなくなるようです。

ただこのシーンは相当迷ったのではないかと思われます。

というのも、このシーンは同じ絵柄でマント着用と非着用が書籍によって混在しているからです。

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映画を観るまではわかりませんが、映像が最終とすると、マントは風に飛ばされてなくなるのかもしれません。

一作目の様々なシーンを回収していく作りのようなので(例えばクリストフが暖炉に薪をくべて火を大きくするのは、ハンスがアナを裏切り暖炉の火を消したシーンと対になっていると思われます)アナのマントも一作目のレリゴーの時のように風に飛ばされていくのかもしれません。 

 

さて、いよいよ公開が間近に迫ってきました。

今日までに書いたものは全て個人の予想に過ぎないので、中身を開けたら全く違った!ということも大いにあるでしょう。

どんな素敵な映画になっているか楽しみですね。