FROZEN考察ブログ

映画FROZEN(アナと雪の女王)の考察ブログ

アナと雪の女王2は「Some Things Never Change(邦題:ずっとかわらないもの)」でわかる

空前の大ヒットを記録したディズニーアニメーション映画「アナと雪の女王

前作の公開から6年の時を経て、先日ついに待望の2作目が公開されました。

前作よりもよりダークな内容に、正直公開前は興行的に振るわないのではないかと勝手な不安を抱いていましたが、そんな心配は無用だったようで、初日から驚異的な動員人数を記録しています。

 

前作に引き続き、今作も魅力的な楽曲がたくさんあります。

その中でも、本作の内容をぎゅっと濃縮したような楽曲「Some Things Never Change」を今回の記事ではご紹介したいと思います。

 

物語の序盤で登場するこの曲は、エルサ、アナ、オラフ、クリストフ、そしてスヴェンの5人が共に歌う、楽しくも切ないナンバーです。

「切ない」と書いたのは、この曲が単に楽しい時間を歌っているだけでなく、時間の経過と共に変わっていくもの、変わらないもの、幸せな今この瞬間は決して永遠には留めておくことはできないのだという事実を歌っているからです。

 

「成長」と「時間」そしてそれにともなう「変化」は、今作の大きなテーマとなっています。

登場人物たちは観客の我々と同様に年を取り、外面も内面も少しずつ大人になっています。

季節は流れ、アレンデールは美しい秋。

オラフは無邪気なままですが、字を覚え本を読むようになり、たくさんのことを思案します。

少し大人びたアナに、結婚を考えるようになったクリストフ、日々の小さな幸せを大切に過ごすエルサ。

街にはこの3年で新たに移り住んだ人々と、新しく建設中の建物が溢れています。

 

季節は移り変わる

みんな おとなになる

 

過ぎていく時間の中で、人々がそれぞれの人生を刻みながら暮らすその風景は、見る人に今この瞬間の美しさと大切さを感じさせることでしょう。

 

原詞・翻訳・吹替歌詞は、こちらのブログが素晴らしいので是非ご覧下さい。

ikyosuke.hatenablog.com

歌詞と映像で「その後の物語」がわかるダイジェストのような一曲「Some Things Never Change(邦題:ずっとかわらないもの)」

この曲には1作目に登場した様々なシーンと対比された描写がいくつも登場します。

前作から変化したものごとをひとつずつ丁寧に描くことで、アナとエルサの世界でも我々の世界と同じように時が流れ、人々の暮らしや心情が少しずつ移ろっていること感じさせます。

なんともいえない愛おしさと切なさ、そして緊張感が魅力的な一曲です。

また時間の経過による変化だけではなく、物語の今後を示唆する歌詞や場面がいくつか登場します。

実はダムの崩壊や、第五精霊についてまで触れられているため、この一曲だけで「映画のダイジェスト」のようになっています。

 

それでは映画に登場する順番に、各場面ごとの私なりの解釈をご紹介します。

これから2回目、3回目をご覧になる方は、是非劇場で確かめながら観ていただけると、映画がより楽しくなるのではなかな、と思っています。

 

①パーマフロスト(解けない体)を満喫するオラフ

カボチャ畑にピクニックシートを敷き、秋の日差しを満喫しているオラフ。

そこへ黄色いドレスを着て少し大人びたアナがやって来て、時の移ろいについて話し出します。

変わってしまうことが怖くないかと話すオラフに、アナが「変わらないものもある」と語りかけ、歌はここから始まります。

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オラフが寝そべっているチェック柄のピクニックシートは、1作目に登場する「In Summer(あこがれの夏)」で夏の暑さを夢見るオラフの空想に登場するものです。

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この時オラフが「日差しの下の雪だるま」について歌うとき、彼の足元には「水たまり」が登場し、青空の下でアナとクリストフがサンドイッチを手にする中、スヴェンだけがパイを食べています。

これは「pie in the sky(絵に描いた餅)」を意味しており、つまりそれが絵空事であること、太陽の下の雪だるまは、実際にはとけて「水たまり」になってしまうという描写です。

しかし本作ではエルサの魔法で解けない体を手に入れたオラフは、水たまりになることを怖れずに日光浴ができるようになりました。

そして体の変化と共に、本を読み思考するようになった、心の成長も見てとれます。

 

②新築工事中の住宅

カボチャ畑を出て街へ繰り出したアナとオラフ。

まず最初に登場するのは、新たに建設中の住宅の枠組みです。 

この3年でアレンデールの人口が増え、それに伴い住宅が続々と建ち始めているのがわかります。

 

③キャンバスと切り倒される木

続いて紅葉した秋の木をキャンバスに描いている男性のもとへ二人はやって来ますが、その木が他の男性に切り倒され口論が始まってしまったため、そそくさとその場を離れます。

二人が立ち去ったあとには、何もなくなってしまった空間と、つい先程までそこに立っていた木のある風景がキャンバスの中に残されています。

これはまさに「時の移ろいによって消えてしまうもの/その瞬間を留めておくこと」のふたつを同じ場面に描いた素晴らしく巧みなシーンです。

毎度のことですが、このような芸の細かさが作品をより奥深いものにしていて素敵です。

 

④古い石垣と新たに敷かれたトロッコのレール

ここは吹き替え歌詞では全く反映されていない部分なので惜しい気がする、今後の展開を示唆した重要なシーンです。

Like an old stone wall, that will never fall
まるで古い石壁が決して崩れ落ちないように
私たちの友情も

Some things are always true
常に正しいことがある
永遠なの

古い石壁は壊れないとアナは歌っていますが、このシーンの石壁は新たに敷かれたトロッコのレールによって寸断され、崩れ落ちています。

この石壁が後に登場するアレンデールダムの示唆であることに気づいた方は多いと思いますが、レールが私たちの方へ向かって延びていること、つまり文明がここから繋がり発展していくことを感じさせる作りがいいですよね。

そして暴走したトロッコの先回りをして方向を変え、オラフを抱き締めるアナは、後にエルサが敷いた氷の道に氷の船で流されるのに抗い、洞窟へ行き着く一連の流れと対応しています。

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またアナが「行き過ぎる」オラフを救うのは、アートハランの深淵で「行き過ぎて溺れる」エルサを救うことを示唆しており、正直かなり本筋に関わるの部分なので、この時点で見せてしまっていいの?大サービスだね!と感じるシーンです。笑

 

オーケンのサロンとスヴェンの買い物

前作では街から離れた森の山小屋で商売をしていたオーケンですが、今回は街中でサロンのような商売をしています。

オーケンについては明言されていませんが、前作から男性のパートナーがいるような様子が描かれていました。

性的マイノリティと思われるオーケンが、エルサの戴冠式に参加せず街から離れた山小屋で暮らしているのが気になっていましたが、今回は街に出てビューティーサロンのようなお店を出しているようです。

これはオーケン自身や、性別にかかわらず全ての人がこのようなサロンを楽しむことをアレンデールの人々が受け入れるようになった素敵な場面だと思います。

また「男らしさ」にとらわれていたクリストフが、スヴェンに後押しされ素直にこのようなお店を、しかも閉鎖的な空間ではなくオープンな空間で利用できるようになったことは、オーケンもクリストフも街の人も、前作よりさらに自由なマインドを手にしたという成長の証ではないでしょうか。

クリストフは前作の「Fixer Upper(愛さえあれば)」でトロールたちに「足の形」と「男らしくない髪の色」について言及されていましたが、今作では人前で裸足になり、帽子も被っていません。

サロンでちらりと自分の足を見る姿は愛らしいですね。

そして前作ではオーケンのお店でニンジンさえろくに買えずにごねていたクリストフとスヴェンですが、今回はなんとスヴェンがお代を出してスカーフを購入しています。

これはとても愉快なシーンですが、彼らが生活の困窮から抜け出したというリアルな描写でもありますね。

物語の最後、アグナルとイドゥナの銅像の除幕式では、スヴェンの勧めでオラフやクリストフも「おめかし」をしていますが、二人がそれを窮屈がるのに対しスヴェンだけは最後まで蝶ネクタイをしたままでいるので、どうやらスヴェンはお洒落が好きなトナカイのようです。

余談ですが、前作に登場するアイスハーベスターたちのモデルはサーミと思われ、彼らがトナカイでなくばん馬を使っていること、氷の運搬を生業にしていることから、ある程度の定住生活を送っていると考えられます。

これは運搬労働(採掘した銀などを街に運ぶ等)を担い、その物資や労働自体をノルウェー(アレンデール)に納税(「ラップ税」と呼ばれます)することで、彼らがそこに暮らすことを「許される」という史実に基づいた描写であると思われますが、今作でクリストフが運搬労働に従事していないのは、エルサの魔法で氷の切り出しが不要になりアイスハーベスターたちが職を失ったというより、エルサが特定の人々に課せられていたそのような不当な税や労働を廃止したという描写であるでしょう。

 

⑥開かれた門と繋がった城と街

バルコニーから街を見下ろし、そこにある日常の大切さと幸せを歌うエルサ。

13年間閉ざされていた門は今は開け放たれ、橋の上を人々が往来しています。

そしてずっと外に出られない生活を送っていたエルサが、自ら「お城を出て楽しもう」と歌い、人々の輪の中に飛び出せるようになりました。

とても感動的な場面ですが、エルサだけメロディーが異なり、アナやオラフ、クリストフやスヴェンとは離れた場所にいて、今後の展開に一抹の不安を抱かせる絶妙なシーンです。

 

⑦漁師の手伝いと海に還る魚

港で魚の水揚げを手伝うオラフ。しかしせっかく渡された魚を海へとかえしてしまいます。

とてもオラフらしく、笑いを誘うかわいらしい場面ですが、劇中オラフが「自然の循環」について触れることを考えると、ただのギャグシーン以上の意味があるのでしょう。

我々の元に届く水は、少なくとも4人の人間または動物の中を通ってくる、というオラフが説明するように、自然は循環しながら機能しています。

魚も水揚げされ我々の口に入り、やがては排出され養分となって自然界へと戻るでしょう。

今作は「自然環境」について強く意識されて作られています。

 

⑧全ての人が参加し協力し合う収穫祭

オラフとスヴェンが街の人と共にテーブルを運び、前作では戴冠式に参加していなかったクリストフとオーケンもテーブルセットを手伝います。

エルサがやって来て人々のコーラスが始まり、アレンデールの旗を掲げ、喜びを共有します。

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ドローン撮影のようにカメラが上空へと昇り、3年前から変化した人々や増築された街並みが映し出されます。

大氷解の後、アレンデールの門は開かれ、様々な土地から人々がやって来ました。

その結果急速に人口密度が上がり、新たな文化が流入しました。

しかしそれはアレンデールをより豊かな国にし、そこに集う人々は参加と助け合いの精神で、この場所を「心の祖国」として愛しているのがわかります。

 

⑨留めておくことはできない、大切なこの瞬間

収穫祭の準備が整い、お祝いと交流を楽しむ姉妹と街の人々。

お城の中でではなく、あくまでも人々と同じ目線での交流を大事にする姉妹が、国民にとても愛されていることがわかります。

これはずっと姉妹が人々と隔離されていたからこそ、人との関わりが人生においていかに大切であるかを体感として知っているからかもしれません。

 

夜が更けていく街の一角を定点カメラが映し出し、荷物を運ぶアナ、行き交う街の人、寄り添い歩く姉妹の残像が、現れては消えていきます。

楽しい時は過ぎ、それぞれの人生が交差しては進んでいきます。

 

時はいつも

駆け足で

過ぎてゆくけど

 

何気ない、しかしかけがえのない日常の瞬間瞬間が、留めておけないからこそ、人生をいかに彩る美しいものであるか、大切なものであるかを、圧倒的なセンスで表現した素晴らしい場面だと思います。

実はこのシーンが本作で最も心揺さぶられ、切なさに胸がぎゅっと締めつけられる、個人的に宝物のように思っている場面です。

クリストフが魔法の森でアナとダムを見つけ、そこでプロポーズを試みる際に「人はいずれみんな死ぬ」と言うように、本作は時の流れと抗えない変化を端々に感じさせる作りになっています。

アナと雪の女王」の世界では、アナやエルサも我々と同じように年を取り、やがては死ぬのです。

ましてやこの物語は1840年代を舞台にしていますから、アナとエルサの物語は「かつてあった、二人の人生の物語」なのです。

終わりがあるからこそ、命の一つ一つがいかに輝いているのか。

私はこの作品を、個人的に最も美しいディズニー作品のひとつであると感じています。

 

⑩橋を渡る裸足のアナ

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収穫祭が終わり、街からお城へと帰る5人。

この時一行はエルサではなく、アナが中心、そして先頭となって歌っています。

私たちのいる画面手前がアレンデール城、画面奥がアレンデールの自然という構図です。

画面奥全体に岩肌「大地」、右奥に流れ落ちる滝「水」、飾られた旗を揺らす「風」、外灯に燈される「火」、そして画面奥から手前へ架かる「橋」と、5つのエレメントが一画面に収まるようになっているのですが、この時なぜかアナが途中で靴を脱いで裸足になります。

これは後にエルサがダーク・シーを渡る際、靴を脱ぎ裸足となってアートハラン(エルサにとっての「ホーム」)へと向かう場面に対応しています。

つまり「第五精霊」であるということが最初に示されているのは、エルサではなく「アナ」なのです。

第五精霊は「橋」であり、エルサはアナに「エルサが第五精霊だったのね」と聞かれたとき、それにイエスと返すのではなく「橋のたもとはふたつあり、イドゥナの娘は二人である」と回答します。

そして姉妹の最後のツーショットは、4エレメントの石柱の中心、第5エレメントの位置で二人が抱き合って終わるのです。

 「Some Things Never Change」は靴を脱いだアナが「橋」を渡り、アレンデール城(アナにとっての「ホーム」であり、「自然」に対して「人間」のメタファー。そして画面手前にいる私たち観客の側)に立つ、というシーンで終わります。

実は「FROZEN2」という物語の核心や結末まで示されている、まさにダイジェストのような一曲です。

これを冒頭に持ってくるあたり、制作陣は本当にこの姉妹の物語を「おはなし」として完結させようとしているのだと感じます。

(もちろん続編が出ないということではありませんよ!)

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FROZENⅡのタイトルロゴは、前作と異なり、全てが氷ではありません。

上部がエルサを表現する「氷」、下部がアナが表現する「石」、そしてシンメトリーの穏やかな曲線全体は「橋」のようです。

 

「FROZEN」とはエルサとアナという、二人の「架け橋」の物語なのです。